大阪家庭裁判所 昭和40年(家)5446号 審判 1965年11月27日
申立人 原田美子(仮名) 外一名
右申立人両名法定代理人親権者母 原田京子(仮名)
相手方 本田治男(仮名)
相手方代理人 本田俊男(仮名)
主文
相手方は申立人両名に対し、その扶養料として、昭和四〇年七月より申立人らがそれぞれ一八歳に達するまで、各人につき毎月二、五〇〇円宛を、毎月末日限り、申立人らの法定代理人親権者母原田京子方に持参または送付して支払え。
理由
(調停申立の要旨)
申立人は主文同旨の調停(当庁昭和四〇年(家イ)第一五二一号一五二二号)を申立て、その事情として次のとおり述べた。
一、申立人らの母原田京子と相手方とは昭和三三年三月一〇日婚姻し、その婚姻中である昭和三四年三月二四日申立人美子を、同三五年一〇月九日申立人民男をそれぞれもうけ、同三九年一月一五日頃まで福岡県飯塚市○○○○区四五六番地で同居していた。
二、その頃(一月一五日頃)相手方は申立人らの母京子に対し、飯塚では見込みがないから横浜方面で勤めたいが、就職するには独身でなければならないからと言葉巧みに持ちかけ、形式上でのみ離婚するものだと京子を欺き、協議離婚届に同意させたうえ、離婚届をなし、昭和三九年三月二日頃情婦とともに神奈川県平塚へ出奔した。
三、京子は相手方出奔後就職して働こうとしたが、飯塚市では適当な就職先がなかつたので、やむなく幼少の申立人らを飯塚在住の京子の両親に預け、単身上阪して就職し、月々の給料のなかから両親に対し申立人らの扶養料として月平均五、〇〇〇円を送金しているが、これでは申立人ら両名の扶養料として不十分であること明らかである。
四、京子は昭和四〇年三月頃申立人美子の小学校入学のため戸籍を取り寄せてみて、初めて、相手方が形式だけの協議離婚だといつた言に反し、従来から関係のあつた女性桃子と正式に婚姻していることを知り、驚いて大阪家庭裁判所に対し協議離婚届出無効確認の調停申立をしたが、その調停経過中に相手方も現在正式に婚姻していることでもあるから今更相手方と復縁しても、もと通りの夫婦生活を営むことは不可能であると思い直し、協議離婚届は承認することとし、(調停申立は取下げた)、その代りに相手方には親として申立人らに対しせめて京子が送金している月五、〇〇〇円と同額の扶養料を支払つて貰いたく、申立人らの法定代理人として調停申立をした次第である。
(調停の経過)
上記調停事件は、相手方が申立人らに対し扶養料を支払うくらいなら、申立人のうち一人を引取り養育する旨頑固に主張し、扶養料の支払に全然応じないため、種々調停を試みたが結局不成立となり、本件審判に移行した。
(当裁判所の判断)
(1) 申立人らと相手方との間の関係および本件申立に至る経緯
筆頭者原田京子および同本田治男の各戸籍謄本、横浜家庭裁判所小田原支所調査官の調査報告書、当裁判所調査官の調査報告、当裁判所昭和四〇年(家イ)第八五〇号協議離婚届出無効確認調停事件の一件記録、ならびに原田京子に対する審問の結果を総合すると、
一、申立人らの母原田京子は昭和三三年三月一〇日相手方と婚姻し、婚姻中である昭和三四年三月二四日長女美子(申立人)、同三五年一〇月九日長男民男(申立人)をそれぞれもうけ、福岡県飯塚市○○○○区四五六番地において通常の夫婦生活を営んでいたこと。
二、そのうち、昭和三八年一〇月頃より、相手方はときどき家を明け外泊するようになり、遂に京子は同年一一月頃に相手方に関係している女性があることに気付き、相手方に対し自分に至らぬところがあれば反省するから、子供が二人もいることであるし、どうかその女性と別れてくれるよう懇請したところ、相手方も自分の非を認めその女性と別れると京子に対し言明したこと。
三、しかし昭和三九年一月一五日頃、相手方は京子に対し、「この土地で働いていてもお前も子供も生活させて行くことができない。兄も○○ゴムで働いているから自分も○○ゴムに就職したい。○○ゴムに就職するについては独身でなければいけないから一応籍を抜くから印を貸して欲しい」といつて、京子に一応形式上のみ離婚する形にする旨信用させて協議離婚届について一応京子の同意を得たうえ、協議離婚届を提出したこと。
四、上記協議離婚届に際し、京子は、婚姻関係を実質的に解消する意思は全くなく、相手方が首尾よく○○ゴムに就職できた暁には適当な時機をみて自分や子供達(申立人ら)を呼び寄せ、再び婚姻届を出してくれるものと信じ、一応協議離婚の形をとることを承諾したこと。
五、しかし、相手方は昭和三九年三月二日頃京子や子供達(申立人ら)に無断で家を出たが、京子は相手方の父にその所在を聞いて初めて相手方が○○ゴムに就職するため既に出発したことを知り、ここに至りはじめて同人が自分や申立人らを遺棄したことに気付いたこと。そしてその後、申立人は当裁判所に対し相手方との協議離婚届出無効確認の調停(昭和四〇年(家イ)第八五〇号)を申立てたが、相手方がその申立に合意しないし、また調停中の同人の態度をみて、その主張をあきらめ(調停申立は取下げた)、離婚届は承認することとしせめて相手方にも親として子供である申立人らの扶養料を支払つて欲しいと思い本件を申立てたこと。
六、叙上の経緯で、自分や申立人らの生活費を自らの手で得なければならなくなつた京子は、やむを得ず申立人ら両名の養育を京子の両親に託し、自らは単身知人を頼つて来阪し、大阪市○区○○○丁目五五の一〇〇産業汽船株式会社に事務員として就職し今日に至つていること。
七、京子は、でき得れば申立人らを引取り親子水入らずの生活をしたいのであるが、僅か一万七、〇〇〇円の同女の月給よりみて、大阪のような住宅難の地では申立人らを引取り扶養することはとうてい不可能であるため(現在同女は会社事務室階上の部屋に同僚女事務員三人と共同生活中)、京子の両親に申立人らを預け、乏しい収入の中から月五、〇〇〇円を申立人らの扶養料として両親に送つているが、それだけではとても申立人らの扶養料として十分でないので、相手方も京子の負担額と同額の月五、〇〇〇円(二人分合計)を扶養料として支払つて欲しいと主張していること。
八、他方、相手方は京子および申立人らを放置して神奈川県平塚市○○一五〇番地○○ゴム株式会社平塚製造所に就職し、飯塚市で京子と婚姻生活中に関係のあつた女性桃子をも呼寄せ、同女と正式に婚姻し(昭和四〇年三月三日)、同女も○○ゴムに就職していわゆる共稼ぎの生活をしていることおよび相手方は京子に対し昭和三九年三月頃に金五、〇〇〇円同年四月頃に金三、〇〇〇円を送つたのみで、その後申立人らに対し扶養料を送つていないこと。
が認められる。してみると、相手方は申立人らの実父であるからその収入・資産・社会的地位にふさわしく申立人らを扶養する義務を負うべきことはいうまでもない。
(2) 扶養料の認定
そこで進んでその扶養の程度および方法につき考える。
一、前掲各証拠および○○ゴム株式会社平塚製造所労務課長作成の賃金台帳兼源泉徴収簿写(相手方提出の○○ゴム株式会社平塚製造所取締役所長木原保男作成の給与に関する証明書は採用しない)ならびに○○産業汽船株式会社取締役社長作成の賃金台帳謄本によると、
(あ) 相手方は○○ゴムに就労し月平均二万七、三六〇円の手取収入(昭和四〇年一月~六月の月平均収入、但し、総収入から社会保険料、所得税、地方税および組合費を控除した残額を手取り収入と考える)を得ており、妻桃子も同様○○ゴムから月平均一万五、九〇〇円の収入を得ていることおよび相手方夫妻間には扶養すべき子供はいないこと。
(い) 京子は、○○産業汽船株式会社に就労し、月平均一万五、九五〇円(昭和四〇年一月~一〇月の月平均)を得、そのなかから月平均五、〇〇〇円を申立人らの養育を託している両親に送金していることおよび京子には他に資産も収入もないこと。
(う) 申立人らは幼少の身であり無資産無収入であることおよび現在飯塚市在住の京子の両親の許に引取られているが、その両親にもこれといつた資産はなく、父親は左官仕事をし、母親は臨時の日雇人夫に出て日々稼いだ収入に京子からの送金五、〇〇〇円を加え、それで祖父母と孫二人(申立人ら)が細々と生活していること。従つて、申立人らはいずれも要扶養状態にあること。
が認められる。
二、厚生省児童局発表の「児童養育費調査結果報告」(全国社会福祉協議会発行「月刊福祉」第四七巻第九号五四頁以下)によると、手取り二万円~四万円の勤労世帯における児童の養育費は、男の幼児(四歳~学齢)の月平均養育費については、六、四〇〇円、女の小学生(一年~三年)の養育費については八、二五三円であるから、この統計表によれば申立人ら両名の月平均養育費合計は月額一万四、六五三円となり(消費者物価指数の変動を加味すればさらに大となる、ただし本統計は大都市居住者を対象として調査されたものの統計であるから、申立人らの場合にはこの金額より若干低額となる。)、京子からの送金五、〇〇〇円ではとうていこれに及ばないことが明らかである。
三、上記認定のとおり、相手方は月平均手取収入二万七、三六〇円を、同人妻は一万五、九〇〇円を得ている。労働科学研究所発表の計算方式に従い相手方の最低生活費を計算すると、月一万三、五六〇円〔最低生活費基準一一、三〇〇(昭和二七年の最低生活費基準七、〇〇〇円を昭和二七年平均の物価指数八一・一および同四〇年一月の物価指数一三〇・五により修正)×(120/100)(激作業)=一三・五六〇〕となり、相手方の手取収入を大きく(一六、六六〇円)上回るから、申立人らの要求している月五、〇〇〇円の扶養料支払は十分可能と認められる。〔(注)最低生活費基準七、〇〇〇円は東京都調査に基くものであるから相手方の場合は若干この金額より低額となるはずである。なお上記物価指数は総理府統計局発表の昭和三五年を一〇〇とする「消費者物価指数報告」によつた〕他方京子について考えると、同女の月収入は一五、九五〇円であるから上記労働科学研究所発表の最低生活費一万一、三〇〇円をわずか四、六五〇円上回るのみであり、いかに苦しい中から五、〇〇〇円の支払いをなしているかが察せられる。
四、そこで、相手方の申立人らに対し負担すべき扶養料の額を考えるに、上記認定の相手方の扶養料支払能力、親権者京子の扶養料支払能力、申立人らの生活の現況および申立人らの監護養育についての責任を負い現実にその責を果している親権者京子の相手方に対する扶養料支払要求についての意向、その他一切の事情(ことに上記生活費算出に関する物価指数の変動・地域差)を考慮すると、相手方は申立人らに対し、扶養料として、各人につき月額二、五〇〇円宛(合計五、〇〇〇円)を、本件扶養申立がなされかつ相手方がその旨を了知した月である昭和四〇年七月分から申立人らが一般社会通念上一応未成熟児の域を脱すると考えられる満一八歳に達するまで、支払うことが相当であると認められる。
(3) 相手方の主張に対する判断
なお、相手方は申立人らに対し扶養料を支払うのなら申立人らのうちの一人を引取つて養育する旨主張しているが、相手方がこれまで申立人らを放置しその監護養育に関心を示さず、扶養料支払の問題が出て初めて金を支払うのなら引取ると主張し始めたその態度および相手方夫妻は現在共稼ぎであり幼少の申立人らを適切に監護できる生活環境にない実情に、申立人らが現在親権者京子およびその両親によつて貧しいながらも肉親の愛情をもつて適切に監護養育されている事実を併せ考えると、相手方の主張はとうてい採用できない。
(4) 扶養料金額の可変性
最後に、扶養料の金額について付言するに、本件審判においては扶養料として相手方に対し前述の金額の支払を命じたが、この金額は将来申立人らの生活状態、親権者京子または相手方の経済状況、その他客観的事情の推移変化により右扶養料の増減変更はもちろん可能である。
したがつて、今後相手方または申立人らあるいは申立人らの親権者の生活事情に変動が生じた場合には、相手方、申立人らは申立人らの扶養についてこの審判による給付額の変更等について改めて協議することができるし、また協議が調わないときには家庭裁判所にその旨の申立をして調停あるいは審判によつて扶養料の増減変更をすることができる。この旨念のために付記する。
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 西尾太郎)